AI コーディングツールが急速に進化して、「誰でもプロダクトが作れる」時代が現実になりつつある。では、技術力で差がつかなくなった世界で、何が勝敗を分けるのか。ライバルが急に強くなったと感じている経営者の一人として、データと海外の議論からこの問いを掘り下げてみる。
「作れる」が当たり前になった
Product Hunt のローンチデータが象徴的だ。AI 関連のローンチ数は ChatGPT 以降 6.5 倍に増加し、2026 年 1 月は前年同月比 167% 増。市場に出てくるプロダクトの数そのものが爆発している。
さらに衝撃的なのは複製のスピードだ。2025 年に話題になった AI エージェント製品 Manus は公開からわずか 3 時間でオープンソースの複製品が登場し、GitHub で 3,000 スター以上を獲得した。技術的なリードタイムが数時間に縮まる世界では、「これが作れる」は差別化にならない。
ヘルスケアのような規制の厳しい業界でも同じことが起きている。AI による診察記録の自動作成(アンビエントスクライブ)は、わずか 2〜3 年で米国の医療システムの 92% が導入・試験運用に入った。従来の電子カルテが普及に 15 年かかったのと比べると、参入障壁の崩壊速度がわかる。
買う側の行動も変わっている。Retool の 2026 年調査では、35% のチームがすでに少なくとも 1 つの SaaS 機能を自社開発に置き換え、78% が 2026 年にさらに内製化を進める予定。「買うより作った方が早い」が現実になり、ソフトウェアを売るだけでは生き残りにくくなっている。
今、何が勝っているか:「誰のストーリーに乗るか」
技術で差がつかないなら、何が勝敗を分けているのか。
ベンチャーキャピタルの見方は率直だ。a16z の Bryan Kim は「今のコンシューマー AI には競合からの防壁(モート)が実質的にない。防御力はプロダクトの優位性から、認知の獲得と出荷速度に移った」と書いている。Bessemer Venture Partners も「AI 企業にとって、顧客に届ける力こそが唯一の防壁だ」と明言している。
日本では、note CXO の深津貴之とアル代表のけんすうの対談がこの変化を端的に表現している。生成 AI 時代に生き残るのは「君でいい」(代替可能)ではなく「君がいい」(あなたでなければダメ)と言われる仕事だ、と。
これは人脈やコネの話のように聞こえるかもしれないが、もっと本質的な話だと思う。人が誰かを信頼するのは、その人のストーリーを知っているからだ。何を信じて作っているか、これまで何を積み上げてきたか、どんなビジョンを持っているか。紹介で仕事が来るのも、ブランドで選ばれるのも、結局は「この人のストーリーを知っている」「このストーリーに乗りたい」ということだ。
つまり今は、「何を作れるか」ではなく 「誰が、どんなストーリーで作っているか」が差別化の中心 に移りつつある。
選択肢が増えるほど「ストーリー」の重みが増す
「技術が差別化にならないなら、プロダクトの数で勝負すればいいのでは」と思うかもしれない。実際、AI でコーディングのコストが下がれば、今まで「作るコストに見合わない」と判断されていた実験も一斉に試せるようになる。19 世紀に石炭の利用効率が上がって消費量がむしろ爆発した「ジェボンズのパラドックス」と同じで、作るコストが下がった分、プロダクトの数は爆発する。
しかし、プロダクトの数が爆発すると何が起きるか。選ぶ側のコストが上がる。似たような製品が無数にある中で、一つひとつ試して比較する時間はない。そうなると消費者は何を頼りにするか。信頼できる人やブランド — つまり自分が知っているストーリーだ。
これは音楽でも情報でも繰り返されてきたパターンだ。Spotify で無限に曲が聴ける時代に、人はアーティストのストーリーで選ぶ。情報が溢れる時代に、信頼する発信者のフィルターを通して読む。選択肢が増えるほど、「誰を信じるか」の比重が上がる。
つまり AI がプロダクトを大量に生み出すほど、「この人が作っている」「このビジョンに共感する」で選ぶ力学はむしろ強化される。プロダクトの数を増やすこと自体は差別化にならない。数が増えた結果としてノイズが増え、ノイズが増えた結果としてストーリーの価値がさらに上がる。
正直に言うと
技術やアイデアで勝負したい人間にとって、この結論は正直つらい。
自分は経営者として、技術力で差をつけたいと思ってきた。しかし AI でライバルが急に強くなった今、技術の差はつきにくい。そして最終的に残るのが「ストーリー」だとすると、それは一朝一夕には作れない。
AI 研究者の Andrew Ng は「ボトルネックは何を作るか決めることだ」と指摘している。プロダクトマネージャーがエンジニアのスピードに追いついていない、と。しかし本当のボトルネックは、もっと手前にあるのかもしれない。自分たちは何者で、何のために作っているのか。その問いに答えられなければ、何を作るかも決められない。
作る技術は AI がコモディティ化した。プロダクトの数はこれからも増え続ける。しかしその中で「あの人が作っているから選ぶ」「あのチームのビジョンに共感するから使う」という信頼は、コモディティ化しない。AI でプロダクトが溢れる時代に最後に残る差別化は、結局「誰が、何のために作っているか」というストーリーではないかと思う。